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東京地方裁判所 平成4年(ワ)12030号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

第一  請求

一  主位的請求

被告は原告に対し、金一九七二万円及びこれに対する昭和六三年一月二二日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  予備的請求

1  被告は、原告のために、大蔵大臣に対し、証券取引法第五〇条の三第五項及び証券会社の健全性の準則等に関する省令第五条による確認申請手続をせよ。

2  被告は、前項の確認を受けたことを条件として、原告に対し、金一九七二万円及びこれに対する昭和六三年一月二二日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告との間において証券取引を行つていた原告が、被告との間でいわゆる利益保証ないし損失補填の契約が成立したと主張し、その履行又は債務不履行による損害賠償として、一九七二万円とこれに対する履行期経過後の昭和六三年一月二二日から支払済みまで年六分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、仮に右契約が証券取引法(以下「法」という。)第五〇条の三第一項第三号により禁止された行為であるとしても、被告従業員があえて右契約を締結させたことは不法行為に当たるなどとして、被告には民法第七一五条による使用者責任があるとし(以上主位的請求)、更に、予備的請求として、本件が法第五〇条の三第三項にいう「事故」に当たることにつき大蔵大臣の確認申請手続と、その確認が得られたことを条件として右同額の金員支払いを求める事案である。

これに対し、被告は原告主張の契約の成立とその効力を争つており、その点が本件の主要な争点である。

二  争点

〔原告の主張〕

1 原告は、被告川崎支店の米山孝義次長(以下「米山次長」という。)から株式取引の勧誘を受け、昭和六二年三月一八日、有限会社惠エンタープライズ(以下「惠エンタープライズ」という。)名義で二億円を同支店に預託したが、その際、米山次長は、原告に対し、年六パーセントの利益を保証した。

2 その後原告が購入したNTT株について昭和六二年一二月二一日現在で一〇七二万円の評価損が出たことから、原告が米山次長と話し合つた結果、米山次長は、同年三月一八日の利益保証約定を確認し、利益保証として九〇〇万円を被告が支払うことを約するとともに、右評価損一〇七二万円につき被告が損失補填を行うことを約した(以下、右約定を「本件契約」という。)。

3 本件契約は米山次長が被告の使者としてこれを締結し、米山次長は昭和六二年一二月二一日付で別紙のとおりの書面(甲第一号証。以下「本件書面」という。)を作成したが、利益保証や損失補填を禁止している証券取引法の取締規定を考慮して、右書面上は明確な表現を避け、「上記極力埋めるべく努力致します」という文言に留めたものの、原告に対しては、必ず実行する旨を約束した。この履行期は、遅くとも一か月後の昭和六三年一月二一日である。

4 よつて、原告は被告に対し、本件契約に基づき、一九七二万円及びこれに対する履行期の翌日である昭和六三年一月二二日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める(主位的請求その一)。

5(一) 本件契約は法第五〇条の三第一項第三号に違反するものではないが、仮に本件契約が右条項により禁止された行為に該当するとすれば、米山次長はあえて違法行為をしたことになり、原告はその結果一九七二万円の損害を被つたのであるから、被告は、米山次長の使用者として、原告に対し、民法第七一五条に基づき、右損害を賠償すべき義務がある。

(二) また、米山次長は、原告から昭和六一年一二月頃一億円を預かつた際に、原告に対して専ら利益保証を約束するのみで、有価証券の性質や取引内容につき十分な説明をせず、右金員の運用中も十分な説明を行わなかつたし、昭和六二年三月に二億円を預かつた際にも同様であつた。米山次長の右行為は、有価証券の性質、取引の条件について原告を誤認させるような勧誘をあえて行つたもので、違法な行為である。

更に、原告が、昭和六二年一〇月か一一月頃、損失が大きいことから米山次長に預託金の返還を求めた際、同次長は、NTT株が三五〇万円ないし三六〇万円まで高騰することは間違いないから最後の一発だけやらせてほしいと申し出て、NTT株を購入したところ、その株価が暴落するに至つた。米山次長の右行為は、有価証券の価格が騰貴し若しくは上昇することにつき原告を誤認させるような勧誘をあえて行つたもので、違法な行為である。

しかして、原告は米山次長の右違法行為により一九七二万円の損害を被つたから、被告は、米山次長の使用者として、原告に対し、民法第七一五条に基づき、右損害を賠償すべき義務がある(以上主位的請求その二)。

6 被告は、原告との委任契約に基づき、証券の性質や取引内容につき十分な説明をして原告の利益を図る義務があり、また、預かり金の運用により原告の利益を図る義務があるのに、前記のように、証券の性質、取引の条件について原告を誤認させるような勧誘や証券の価格が騰貴し若しくは上昇することにつき原告を誤認させるような勧誘をあえて行い、その結果原告に一九七二万円の損害を被らせた。

よつて、原告は被告に対し、右委任契約の債務不履行による損害賠償請求として、一九七二万円とこれに対する昭和六三年一月二二日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める(主位的請求その三)。

7 仮に以上の主張及び請求が認められないとしても、米山次長の前記行為は法第五〇条の三第三項にいわゆる「事故」に当たり、被告はこれにより原告に損害を与えたのであるから、右損害を補填するために、信義則上、大蔵大臣に対して法第五〇条の三第五項及び証券会社の健全性の準則等に関する省令(以下「省令」という。)第五条による確認申請手続をなすべき義務があり、右確認を条件として、原告に対し一九七二万円の損害賠償をなすべき義務がある(予備的請求)。

〔被告の主張〕

1 本件書面は、「上記極力埋めるべく努力致します」との文言に照らしても、また、損失補填の履行時期、具体的支払方法、過怠条項等の弁済約定に関する重要な約束が全く欠けていることからしても、損失補填の約定とは到底いえず、米山個人が努力することを明らかにしたものにすぎない。

2 法第五〇条の三第一項第三号によれば、「有価証券の売買その他の取引等につき、当該有価証券等について生じた顧客の損失の全部又は一部を補てんし、又はこれらについて生じた顧客の利益に追加するため、当該顧客又は第三者に対し、財産上の利益を提供し、又は第三者をして提供させる行為」が禁止され、その違反行為については、法第一九九条第一号の六により、刑罰が課されることになつており、右行為の禁止は、平成三年一二月三一日以前に顧客との間で成立した損失補填等の約束に基づき平成四年一月一日以降に顧客に対して財産上の利益を提供する行為にも及ぶものと解されている。

しかして、原告の本訴請求は、右の法令で禁止された損失補填ないし利益保証を求めるものであり、被告及びその代表者が刑罰による制裁を受ける行為の履行を求めるにほかならないから、公序良俗に反し、許されないものというべきである。

3 本件において損失補填ないし利益保証として原告が主張するものは、省令第三条に規定する事由によつて生じた「事故」に当たらないから、そもそも失当であるし、予備的請求として省令第五条による確認申請手続の履行を求める請求は、かかる作為義務を被告に認める法的根拠を欠くから、それ自体失当である。

第三  争点に対する判断

一  本件契約の成否について

1  原告は、本件書面(甲第一号証)をもつて米山次長が利益保証及び損失補填を約した書面であると主張し、原告本人もこれに副う供述をしている。

2  しかし、《証拠略》を総合すると、以下の事実が認められる。

(一) 被告川崎支店との間では、原告個人のほか、原告が代表取締役を務める泉鋼管株式会社及び原告の娘泉惠子を代表取締役とする惠エンタープライズも取引関係があり、後に認定するように、昭和六二年一二月二一日以降は原告が代表取締役を務める株式会社ワールドエンタープライズも取引関係があつた。

(二) 原告は、昭和六一年一二月、米山次長に対し、惠エンタープライズ名義の口座に一億円を預託するので運用してほしい旨申し入れた。そして、運用について張り合いを持たせるために年六パーセントの利益を希望するので頑張つてほしい旨要望し、利益保証についての書面を差し入れるよう求めたが、米山次長は、上司と相談の上、「元本を保証するものではありませんが、御意向に沿うよう努力します」旨記載したメモを原告に交付した。右メモは、利益保証を法的に約束するものではないことを明らかにする趣旨で作成されたものであり、原告自身もこれを紳士協定的なものと理解していた。

(三) 米山次長は、右口座に預託された一億円を転換社債や株式等に投資、運用して、昭和六二年三月までの約三か月間に七〇〇万円程度の収益を上げた。そこで、同月一八日、米山次長が前記預託金の元本と右収益金合計一億〇七〇〇万三八八八円を原告方に持参したところ、原告は、今度は二億円を預けるので運用するよう米山次長に申し入れ、同日、二億円を右口座に預託した。その際、原告が利益保証を求めたり、その趣旨の書面の差入れを求めたりしたことはなかつた。

(四) その後、右二億円を原資として転換社債、株式等への投資運用が行われ、その詳細は月次報告書等により逐次原告に報告されて、原告もこれを承認していたが、昭和六二年九月頃、原告が、一億円は主に現先取引等による短期証券の取引に当て、NTT株以外の株式は徐々に整理するよう指示したため、その後は右指示に従つた処理が行われた。

(五) 昭和六二年一二月、原告が運用の結果を報告するよう米山次長に指示したため、同月二一日、同次長が前記口座の取引残金五三九三万〇七九一円を持参して原告方を訪れ、同日現在、前記預託金二億円のうち九九五七万七二五四円が原告の指示に基づいて行われた現先取引による証券の買付代金に当てられており、これと右取引残金五三九三万〇七九一円を預託金二億円から差し引いた四六四九万一九五五円が損失として計上されることを説明した。そして、原告の指示に基づき右口座によつて買い付けたNTT株が一六株あり、同株の同月一八日現在の時価が一株二二七万円であつたところから、米山次長は、NTT株が二九四万円に値上がりすれば前記損失が解消できることを説明するとともに、同年三月一八日の預託日からの二億円に対する年六パーセントの原告の希望利益額が約九〇〇万円に達していることから、「極力努力」して右損失の解消と希望利益の達成に努める旨の本件書面を作成して、原告に交付した。

(六) 原告は、その後も惠エンタープライズ名義による取引を継続し、昭和六三年一月二〇日には、新たに行われた現先取引の資金三〇一四万余円を同口座に入金し、同年四月三〇日には、同年三月二三日に買い付けられた外国債券の売付代金約一億三〇三一万円を取得している。なお、前記NTT株一六株はそのまま保有されている。

(七) また、原告は、昭和六二年一二月二一日、前記株式会社ワールドエンタープライズ名義による取引を開始し、右取引は本件訴訟提起の直前まで継続した。

3  右認定の事実によれば、昭和六二年三月一八日、米山次長が原告に対して年六パーセントの利益を保証したと認めることはできないし、本件書面は、「上記極力埋めるべく努力します」との文言に照らしても、また、これが作成されるに至つた前記のような経緯や、補填すべき損失の内容が確定されているとは認められないこと、更に、損失補填の履行時期、具体的支払方法等の重要な事項の取り決めが全く欠けていることからしても、利益保証ないし損失補填の約定とは認められないから、これによつて一九七二万円の利益保証ないし損失補填を約する契約が原、被告間に成立したと認めることは到底できないものというほかはない。以上の認定に反する原告の前記供述は信用し難く、他に原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

4  したがつて、本件契約の成立を前提に、その履行を求める原告の主位的請求その一は理由がないことが明らかである。

二  被告の使用者責任の成否について

1  米山次長が利益保証ないし損失補填の約定をした事実が認められないことは、さきに認定説示したとおりであるし、本件全証拠をもつてしても、同次長が有価証券の性質、取引の条件について原告を誤認させるような勧誘や証券の価格が騰貴し若しくは上昇することにつき原告を誤認させるような勧誘を行つた事実を認めることはできない(この点に関する原告本人の供述はにわかに信用できない)。

2  したがつて、右の各事実が存在することを前提に、民法第七一五条による損害賠償を求める原告の主位的請求その二は理由がない。

三  委任契約の債務不履行の成否について

1  原告は、被告が有価証券の性質、取引の条件について原告を誤認させるような勧誘や証券の価格が騰貴し若しくは上昇することにつき原告を誤認させるような勧誘をした旨主張するが、証拠上かかる事実が認められないことはさきに説示したとおりであり、前記認定の事実によれば、被告は、前記預かり金の運用として行つた取引の内容を月次報告書等により逐次原告に報告し、原告もこれを承認していたことが明らかである。

2  そうとすれば、被告に委任契約上の債務不履行があつたとはいえないから、右債務不履行を理由に損害賠償を求める原告の主位的請求その三は理由がないというほかはない。

四  予備的請求について

1  原告は、本件における米山次長の行為が法第五〇条の三第三項、省令第三条所定の「事故」に当たると主張するが、同次長の行為が「有価証券の性質、取引の条件、有価証券の価格が騰貴し若しくは上昇することにつき顧客を誤認させるような勧誘」をした場合(省令第三条第三号イないしハ)に該当すると認められないことは、前記説示のとおりである。

2  また、法第五〇条の三第三項によれば、「有価証券の売買その他の取引等につき、当該有価証券等について生じた顧客の損失の全部又は一部を補てんし、又はこれらについて生じた顧客の利益に追加するため、当該顧客又は第三者に対し、財産上の利益を提供し、又は第三者をして提供させる行為」を禁止した同条第一項第三号の規定は、その補填に係る損失が「事故」に起因するものであることにつき当該証券会社があらかじめ大蔵大臣の確認を受けている場合その他大蔵省令で定める場合には、適用しない旨が定められ、同条第五項及び省令第五条ないし第七条に大蔵大臣に対する確認申請手続が定められている。しかして、右の大蔵大臣に対する確認申請手続は、有価証券の売買その他の取引等につき、当該有価証券等について生じた顧客の損失を補填するため、当該顧客又は第三者に対し、財産上の利益を提供しようとする証券会社が、その補填に係る損失が「事故」に起因するものであることの認定を監督官庁である大蔵大臣に申請する手続であり、その申請は証券会社の単独申請により行われるものであつて、当該顧客又は第三者との共同申請行為として行われるものではないから、顧客又は第三者が、証券会社に対し、大蔵大臣に対する確認申請手続を求める私法上の権利を有するものと解することはできない。

3  したがつて、本件が法第五〇条の三第三項にいう「事故」に当たることにつき大蔵大臣の確認申請手続と、その確認が得られたことを条件として金員の支払いを求める原告の予備的請求は、理由がないものというほかはない。

(裁判官 魚住庸夫)

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